光陰矢の如しとはよく言ったもので、つい最近夏の記事を書いたと思っていたのだが、すでに我が家の周りではトンボが空を所狭しと飛んでいる。
秋の到来である。
一歳になったキーさん、依然として体躯は小さいものの、日々元気に家の中を駆け回っている。
そういえば先日、避妊の手術を受けた。
受ける事に対しては細君とずっと議論を繰り返した。
倫理的なことなので、人間のエゴなんじゃないのかという話から始まり、そう考えると「飼う」というアクティビティ自体が倫理的なのではないのかもしれない。という極論位まで達し、なかなか踏み切れずにいたものの、我が家の周りの自由猫との接触など万が一の事も考えて施術することにした。
そんな初秋の彼女の様子を記すことにする。
今年は細君の友達がよく来訪し、彼女を愛でるのだった。
彼女に完全に心酔した細君は、彼女のために布団と枕を制作。
隠れてる。
また隠れてる。
またまた隠れてる。
隠れているつもりなのだろう。
難易度高め。
ベーコンエッグを狙うキーさん。
どうやら袋が好きらしく、どんなに寝起きで眠かろうとも必ず一度潜る。
モフられるのが好きなんにゃ!!!
透き通るような目で凝視されると困る。ほかのことが手につかなくなるから。
猫の眠る様はいつ見ても本当に和む。
ふと気がつくと、布団かけて人間みたいに寝てる。
息子を眺めているおまんじゅう。
— 影山健二@チリチリざむらい (@heartleafkk) September 23, 2016
手術後の痕を舐めている。痛い思いをさせてごめんよ、キーさん。
知人の写真家が美しい写真を撮ってくださった。
今月はギロチンタイプの爪切りを購入した。
細君と最近キーさんのことをよく話す。
猫は長くても15年くらいしか生きられない。
だから彼女の死の方が僕たちよりも当然早いだろう。
彼女がいなくなったとき、僕達はきっととても悲しむだろう。彼女はもう家族の一員だからだ。
時間は永遠ではない。有限なのだ。
残された時間が分かれば、誰ひとりとして無駄な時間は過ごさないだろう。
倫理を考えたら答えなんてないのかもしれないが、少なくともキーさんには影山家の住人として生きて、死ぬ時には「影山家で生きられて幸せだったにゃ」なんて思って欲しい。
今から死を意識するなんて縁起でもない事なんだけど、どうやって死を迎えるかを考えることで、僕たちができることは見えてくる気がする。それは自分の人生とて然りだと思っている。
秋の風にそよぐ小さな命は、今日も我が家で愛を育んでいる。