自分なんかじゃ、、、と思ってしまう人へ

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影山(@heartleafkk)です。

色んな創作活動を続ける上で、時に

「自分なんかじゃ、誰の役にも立ってないかもしれない」

なんて、ケツの青い事を考えてた時期もあったりします。

今で言えば、ブログ活動やフリーBGMなど、主に不特定多数にリーチするものに対して、特に言えるかもしれません。

「僕の作品は誰にも届いていないのかもしれない」

なんてね。

今回はそんなお話。

誰の役に立ってるかなんて分からない

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これは、ガチでバンドやってた時に辿りついた話なんですけど、ライヴに足を運んでくれたり音源を聴いてくれて直接言える位置にいる人は感想を僕に直接言ってくれるけど、当然そういうことをできない人もいるわけで。

でも、当たり前だけど、音源だけを手に入れて、聴いてくれて、その人の人生に少しでも影響与えてるかもしれないし、そんなのは自分の目の届かないところの話だから、実情って分からないんですよね。

強ち、人間は目に見える結果にとらわれてしまう傾向があるのでね、例えばブログとかもさ、「うわー、全然読まれないなー、辞めようかな」と思ったりすることもあるかもしれないけど、本当にそうかは分からないんです。とか言って僕も自信なくしてた時もあったりもする。

でもね、どこかの誰かがその記事を読んで、めちゃくちゃ感動して、人生変わってるかもしれないし、今は誰にも届かなくても、いつか誰かに読まれてその人の大事な教訓になるかもしれない。

そうは考えられないだろうか?

そう思うと、クリエイティブな事以外でも、無駄なものなんて無いんじゃないかな?って思うんです。

価値を自分から捨てない

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自分のやってることに価値を出せるかどうかは、自分でも決められるけど、結局他者が決めることだと思ってるんです。

はじめから「意味がない」って、自分で価値を決めて何も生み出せないのなら、そりゃ誰にも届くはずはなくて、意味があるか無いかは置いといて、まず生み出して、それを受け取った人が自分に対して価値があるのか無いのかを判断してるだけなんですよね。

人によって考え方なんて全然違うし、好みも趣味も全然違う。

まあ、大衆思考家でいたいなら好きにすればいいと思うけど、少なからず誰か一人だけにでも自分の生み出すものや景色が届けば、価値はあるんじゃないかな?と思う。

価値があるかどうか、決めるのは結局他人。

これは大事なこと。

自分のこと

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音楽活動もそうだし、1年前から始めたブログや制作のことも、周りにめちゃくちゃ凄い人達ばかりで、正直なところ「自分がやる意味あるかな?」的に悩んだこともしょっちゅうあります。

でも、思いがけず、誰かに「影山さんの音楽いつも聴いて元気もらってます」とか「ブログ楽しみに見てます」とか言われると、泣きたくなるくらい嬉しかったりして、もっとしっかりしないとな。って逆に力をいただいたりする。

虚勢を張る必要もないし、ありのままの自分でいいんだな、と、思い知ります。

何度か書いたけど、ブログって一年続けられる人って、始める人の中の5パーセントなんだって。

たったの5パーセント。

辞める理由はそればかりじゃないと思うけど、もし「自分なんかじゃ、、、」って思う人には、頭の片隅にでも置いていてもいいと思います、

「こんな自分でも、誰かの救いになってるかもしれない」

ってこと。

目に見える事が全てじゃない。

偉人たちと同じように生きなくてもいい。

自分にしか出来ないことがあるということ。

スキャットマン・ジョンがいつか言ってました、

「全ての事に意味がある」

と。

意味を勝手に無くそうとしてるのは、自分自身かもしれませんね。

この記事も、いつかどこかの誰かの人生を少しでも良いものに出来たら嬉しいです。

最後に、僕が一番好きな詩を載せときますね。

それでは。

生命は
                                      吉野弘
生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする

生命はすべて
そのなかに欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?

花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている

私も あるとき
誰かのための虻だったろう

あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない

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夫婦で音楽やっております。