音楽とITでのんびり生きる田舎のおじさんのブログ

THE 対談。【伊那まち「はしば」/伊那市議会議員】八木択真(長野県伊那市)

 

高遠の桜も見頃を過ぎ、見頃には花見客で溢れる我が伊那市も日々に平穏が戻りつつある。

 

伊那市には飲み屋を経営しつつ市議会議員をやっているという面白い御仁がいる。

八木択真氏、その人である。

 

以前から、そのバイタリティ溢れる活動のおかげで彼の名前をちょくちょく目にしていた。

イベントなどで軽く話したことはあるものの、今の今までゆっくりと話す機会もなかったが、多忙の彼に頼んで対談を取り付けた。

 

飲食業のこと、そして市政のこと。

彼らしい切り口で明快な対談となった。

 

どうか政治に興味のない人に届きますように。

 

 

 

八木さんに聞いてみた

影山:::今日は宜しくお願い致します。 市議会の事で色々聞くと思いますが、金銭的なことや答えづらそうなこともあるかと思いますので、無理なくお答えいただければと思います。

八木氏:::よろしくお願いします。いや、全部オープンにしてしまったほうが皆さんに興味持ってもらえると思うし全部話しますよ(笑)

–ありがとうございます、助かります(笑) では初めに年齢や出身地、また八木さんは多くの活動をされているそうなので、主となる活動の名前などを教えていただけますか?

今年39歳になります。出身は大阪府堺市ですね。 今は4年続いたこの店(はしば)と伊那市議会議員、あとは一般社団法人ASTTALの代表が主な活動でしょうか。 あとは若手の起業家を支援する「ローカルベンチャーミーティング」やフリーペーパー「いなかち」などにも携わったりしています。

–ものすごいバイタリティですね。 大阪出身とのことでしたが、何故またこの伊那市にこられたのですか?

学生時代に信大(信州大学農学部/長野県南箕輪村)に来てたんです。でも、学生時代はほとんど学校にもいかず友達と呑み歩いたり趣味だった車に散財したりして卒業までに6年かかりました。 なんとか卒業して、暫くフラフラした後に地元に帰郷して就職したんですが、もともと自分が生まれ育った街にも特に愛着も無くて、本当に楽しい思い出ばかりだった伊那市にいつかは戻りたいという気持ちがありました。 いわば伊那市は僕にとっての故郷みたいな場所だったんです、「僕の居場所はここだなあ」なんてずっと思っていて。で、9年ほど前職で働いたあと、戻りたかった伊那市に戻りました。

–そうだったのですね。 前職は事件の記者に携わっていたと伺っておりますが、伊那に戻るきっかけはなんだったんでしょうか?

大きかったのは2011年の東北の震災や、その年に起きた紀伊半島の台風被害のことでした。 僕は9年間産経新聞の事件担当だったんですけど、普段は事件を追ってるんですけど災害の時にも現場に飛ばされたんです。 で、東北の震災のあった次の日には現場にいたわけですが、まだ全然支援の手も回っておらず、あちらこちらに遺体が転がっているような状態で本当に大きなショック受けました。 その年の秋に大きな台風被害が紀伊半島で起きて、その時にも現場に出たんですが、なぜか東北で見た景色と冷静に見比べてしまっている自分に気がつきました。 もちろん台風の災害もショックだったのですが、「東北に比べたら、、、」みたいに冷静に客観している自分にとても嫌気がさしてしまって。 この先もきっと同じように冷静に色んな現場を見てしまうようになるのかなぁ?という罪悪感のようなものに包まれてしまったんです。

–いろんな人の人生を変えてしまった災害でしたからね。 その時に感じた無力感みたいなものが大きかったのでしょうか?

紀伊半島の災害の時に、災害で旦那さんを亡くしてしまった新宮市に住む一人のおばさんと出会ったんですけど、そのおばさんがいつか言ってたんです。「何年か前に大阪からIターンで新宮にやってきた若者が市議会議員になって頑張ってるよ」と。 先の自分のこれからを考えるきっかけを受けて、やっぱり伊那市に戻って地方に貢献したいと考えたとき、そのおばさんの言ってた言葉が頭に浮かんで、「よし。伊那市に戻って市議になって、僕の故郷でもある伊那市をもっと魅力的な街にしよう!」って思って。

–じゃあ、戻ることを決めた時には飲食店をやることよりも議員になることの方が先だったんですね。 なぜそこから飲食店も始めようと思ったのですか?

そうですね、議員が先でした。 伊那市に戻ることを決めて一年間記者として働きながら、伊那市に戻った時に住む物件を探してたんですが、市の推奨する不動産のサイトの一番上に、この「はしば」の物件が出てたんです。 もともとは歯医者さんだったそうで、外装もレトロだし一発で一目惚れしてしまって(笑) 実は記者時代に色んなところで若者がレトロな建物をリノベしてカフェやお店を開いて、そこから地域を元気にしていく姿をずっと「羨ましいな、いつかやってみたいな」と思ってて。 で、物件を見に来たらイメージがすごく湧いてきて、すぐここにしよう!と決めました。 でも提示されてた金額ほどのお金も無いしどうしようかと考えた末に、大家さんに手紙を書いたんです。今までの経緯と、「これから伊那市に戻って伊那市のために尽力したいんです、でもお金はありません!」みたいな(笑) そうしたら大家さんがとても気に入ってくださって、「じゃあ、あなたの言い値でお譲りしますので、地域のために有効に使ってください」というありがたい返事をいただけて。 結果200万円ちょっとでこの物件を譲っていただけて。

–すごいですね(笑) やっぱり地域の事を念頭に誠意を表したことで大家さんの心を動かしたのかもしれませんね。

で、無事に前職をやめて伊那市に引っ越してきたのが4年前くらいです。で、議員になることは置いておいてもとりあえず収入をどうしようか考えていて、友人に手伝ってもらいつつ自分でほとんど改装しながら何のお店にしよう?と考えて、最初はカフェをやろうと思ってたんですけど、実は僕コーヒー苦手で(笑) で、僕お酒が好きだし、居酒屋がいいかな、と。 伊那市に戻ったのが3月で10月にはオープンしたので、半年位で回転までこぎつけた感じでした。

–何をやるか決めずに改修したのすごいですね(笑) それから4年ほどお店を経営されていらしゃいますが、ちなみに直近の年商とかって聞いたりできますか?

ああ、いいですよ(笑) ちょっと帳簿見てきますね、、、。

えーと、去年が1621万円です。

–それ書いちゃってもいいですか?(笑)

ええ、全然構いませんよ(笑) ただ、額面はこうやって出てるけど、人雇ったりしてるし僕にはあんまり残りませんけど(笑)

–助かります(笑)

話が前後してしまいますが、市議を目指すにあたり、何を思って市議になろうと考えたのか詳しく教えていただけますか?

個人的には、日本の未来って田舎にかかってると思ってるんです。 都会に比べて色んな自由があって、やりたいことを体現できるのが地方だと思ってて。 伊那市にはその可能性がすごくあると考えてるんです。ほんと、日本の中でも有数のポテンシャルだと思う。 そんな伊那市に戻って、自分がその可能性をどんどんと発信していきたいというのが一番ですね。 記者時代に色んな景色を見てたから、政治ってもともと嫌いだったんですけど、やっぱり自分の大好きな街をどうやったらもっと良くできるかってなった時に、やっぱり市政を通じて伊那市を盛り上げたいと考えたんです。

–八木さんのように伊那市を愛してるからこその考えですね。 でも正直地元での実績も無いし、よく当選できたなあというのが素人の僕からの率直な意見ですが、、、

僕もどうなるかは分からなかったんですけど、とにかく周りの昔からの友人たちに支えられたのが大きいですね。 お金もそんなに持ってなかったんですけど、市議選くらいなら当時の僕でも用意できる金額だったし、補助金とかもあるんですよ。 あと、若い人に頑張って欲しいという空気はあるんだけど、なかなか「入れる先」がないって状況もあると思うんです。僕の場合は記者としての経歴や信大出身というのもあって、「こいつなんだか分かんないけど頑張って欲しい」みたいな空気は感じました。

–そうなんですね。 実際当選して現在は市議としても活動されていますが、ぶっちゃけ市議会ってどうなんでしょうか?

市町村の議会ってどこも似たようなところあると思うんですけど、やっぱり年齢層も高くて若い人ってあんまりいないのが実情ですね。 街を活気づけるためにはまだまだ若いパワーが全然足りてないですよね。リタイア世代も多くて、確固たる意志を持たずして市議でいる方も珍しくありません。 すごくショックだったんですけど、以前とある市議の方が議席に着いた時に隣の老市議がこういう風に言ったんだそうです。「君は若いから色々やりたいことあっていいな。俺は地域で推されて出ただけだからやりたいことなんてないんだよ」と。 結構平気でそういうことをいう方もいるんですよ。 皆さん人はとてもいい人たちなんですけどね、人はいいけど想いは無いんです。 それじゃ良くならんわな、と。

–それはちょっと僕もショックですね。 なんで若い議員て少ないんでしょうか?

立候補とかはするんですけど、なかなか通らないんですよね。 地域がバックにいないとか、ほんとそういう理由で落っちゃうし、何より市議選てみんなあんまり興味がないんですよね、特に若い人は。 市議選の投票率って、20~30代だと30パーセントくらいなんですよ。それに対して70代とかになると80パーセントとかなんです。 それじゃお年寄りに勝てるわけがないんです。 そうなると必然的に若い議員は居ないわけで、年寄り向けの政策はどんどん通るし、次世代の人への政策は通らないのが実情です。 だから、いい加減みんな気づこうよ!って色々やってるけどなかなか変わらないですよね。

–なるほど。それは納得ですね。 正直なところ市政とかって、やっぱりそういう仕組みなのかな?って思ってるところもあって、どこかで「別に誰がなっても変わらないよね」みたいな考え方の人多いと思うんです。 僕も若者の一人として忸怩たる想いです。

年寄りの議員さん達も、分かってはいてくれるんです、「もっと若い人たちに任せようよ」って。でも結局選挙で勝てないから変わっていかない。 だから僕としてはなんとか一人でも変えてってやろうと思ってるんですが、なかなか難しいですね。 だから望むらくは一人でも多くの市民の皆さんに、市政にもっと関心を持って欲しいんです。

–痛いほど伝わってきました。 色々考えさせられますね。 僕はもともと地域の活性化とかには本当に興味がなかった人間なので、八木さんのように想いを持つ方の話はとても刺激になります。

まあでも、プライベートの時間削って本当に泣きたくなるような日々が続いて本当に大変ですけど、少しづつ変わってきてるのは体感できてるし、良い方向に変わって行くことを一番近くで体感できるのは純粋に楽しいですからね。

–楽しめるってことは何より大事ですよね。 ちょっと現実的な話になっちゃうんですけど、議員報酬とかの金額的なこととか聞いたりしてもいいですか?

もちろんです。

(おもむろに報酬記録を取り出す八木さん)

これ、先月の記録です。 撮影してもいいですよ、どんどんオープンにしましょう(笑)

 

–こういうの初めて見ました、、、。 年間ではどのくらいですかね?

期末手当っていうボーナスみたいなのもあるので、それ含めて大体500万円後半とかじゃないでしょうか、、。 でも普通に税金持ってかれたりするし、額面は30万円超えてますけど、実際に手元に残るのは18万円くらいですね。 だから手取りで言ったら、よっぽど普通の仕事してたほうが稼げます。

–そうなんですね、世知辛いですね(笑) 八木さんは他にも色んな形でまちおこしをされていらっしゃいますが、全部ご自身が発起人だったりするのでしょうか?

まあ、色々はやってますけど自分ひとりで全てやってるってわけでもなくて、有志で行ってたりもするので僕はハブ(HUB)的な役割だったりもしますよ。

–それでもなんかしらのきっかけになってらっしゃるのでやっぱりすごいですね。 では、飲食業と市議会議員、双方をやってみて感じるメリットとデメリットをそれぞれお聞かせいただけませんか?

そうだなあ、飲食ならまずデメリットの方になっちゃうけど、やっぱり体が大変ですね。特に飲み屋は夜も遅いし、普通の生活はできませんからね。  メリットは、、、人と出会えることかなあ。自分のことで言えば、自分の作ったお店に来てくれていろんな人と出会えるのは純粋に嬉しいと思うし、やっぱり自分の手で改修したこともあるし愛着もあるので。組織じゃないし、自分のやりたいようにやれるのも楽しいです。

市議会議員は、メリットはやっぱり自分の大好きな街作りで未来に向かって関わっていけるというのは、これほどやりがいのあることはないと思いますね。やりがいは本当にあります。 デメリットは、、、イライラする。 議会は民主主義だし、自分の思うとおりにいかないこともたくさんあります。僕はこういう性格だし、間違ってたら間違ってるとはっきり言うんですけど、結局多数決なので不本意なものでも決を取られれば通ってしまう。精神衛生上はあんまり良くないですよね。それでも誰かが変えてかないといけないので踏ん張ってますけど。

–なるほど。 伊那市を愛する八木さんにとって、今感じる伊那市のいいところ、また、ここをもっとこうしたらもっとよくなるんじゃないかな?というようなところはありますか?

そうですね。伊那市のいいところはたくさんあるんですけど、やっぱり自然も豊かだし、これからの日本を考えると伊那市のように素晴らしい場所は他に無いと思いますね。正直、伊那市でダメなら日本はダメかなって思ってます。

地方はどこもそうなのかもしれないけど、和を重んじるところがすごくあるし、波風立てない空気感てのはすごく感じるんです。 どこか閉鎖的というか、変えようと思うんだけどなかなかチャレンジしづらい空気はありますね。なるべく波風立てずにね、みたいに。

–じゃあ、今の伊那市には何が必要だと考えますか?

 

市民の皆さんがもっと伊那市の可能性、資源や魅力に気づけば、自ずともっと豊かな街になっていくと思いますね。 特に高齢者の方。 若い人は気づき始めてる人が結構いるんですけど、やっぱり市民が自分たちの街の魅力に気づけないと外から人なんて呼べないですからね。そのへんは足りてないと思います。

 

 

日常について聞いてみた

–一日の睡眠時間てどれくらいですか?

6時間は寝てます。

–趣味は?

うーん。日本酒の仕入れかな(笑)

–好きな食べ物は?

カレーです。

–尊敬する人は?

沢山いすぎて困りますね(笑) 今思いつくのは、元大阪知事の橋下徹さんはとても尊敬してます。

–座右の銘は?

「一灯」です。 暗闇を恐れず、一つの光を信じて進むということ。

–休日の過ごし方は?

何もない日がほとんど無いのですが、たまのそういう日は昼間からお酒飲んで早く寝ます。

–今、瞬間的に思い浮かぶ夢は?

自由な時間が欲しいですね(笑) なんにも考えずに下ネタ言ったりバカできるような自由にはずっと憧れてますね、、、。

 

 

最後に聞いてみた

–今後はどうしていきたいですか?

正直、最近色々と考えてるんです。 市政から離れて、民間として伊那市を元気にしていくのもいいかな?とか、もっと周りを巻き込んで市政に尽力していこうとか。 やっぱり一人だけだと変えられないことも多いけど、最近は少しづつ仲間も増えて、いろんな可能性が見えてきてて。 でも、形はどうであれ伊那市をもっともっと魅力的な街にしていくことは変わらないです。

–なるほど。 それでは最後の質問です。 飲食業、及び市議会議員という職業は他人に勧められますか?

飲食業は正直勧めないです(笑) 大変だから。 いや、やっぱりおすすめかな? 大変だけど勧めます(笑) 人が元気になる場所を自分で作れるのはとても幸せなことだと思うし、大変だけど、勧めます。

市議会議員は、「想い」が強くある人には勧めたいですね。 やっぱり自分の愛する街の未来作りに携われることはとてもやりがいがあるし、本当に良くしたいという想いがあるならどんなに辛くてもやる意義はあると思う。 若い人にとっては今の現状だと厳しいかもしれないけど、誰かがやらなきゃ変わらないし、同士は必ず現れるので。

 

 

 

ゴリラの編集後記

 

バイタリティ溢れる御仁と小一時間お話をさせていただいたのだが、何よりも伊那市を愛し、その魅力を一人でも多くの人に発信しようと尽力する彼の活動には本当に心打たれるものがあった。

かくいう小生は、正直もともと地域活性や地方創世などには興味がない人間であったが、歳を重ねるにつれ、自分でも何かをこの地に残したいという気持ちが高まりつつある。

彼は「逆にIターンのよそ者だからここまでできるのかもしれない」と話していたが、この街に彼ほどの愛を地域のために投じる人間はどれほど居ようか。

話していて恥ずかしくなるほど彼の考え方は的を射過ぎていて、市政や未来に無頓着の小生は会話しながら「自分は何をやってるのだ」と終始忸怩たる念を払拭できずにいた。

地域活性を声高に掲げる彼のような人間を、僕はどこかシニカルな目で一瞥してきたのかもしれない。そして僕のような考えの人間はマイノリティではなかろう。

 

当然のことだが、他人任せでいればそりゃ自分の思うようになんてなかなかいかない。

他人に変化を求めては、最適解ではないと論評する。それが社会のスタンダードである。

 

故郷を愛し、望む変化に自分がなろうと尽力する彼の姿は、大した気概もなくのほほんと生きる人間のそれとは全く別に次元のことのように思えるが、突きつけられる現実と未来、果たして愚かなのはどちらなのかと自問すれば、正解など考えるに及ばないだろう。

 

変わらなければいけない、変えなければいけない。

対談の帰り道、彼が問うこの町の未来に、僕には一体何ができるだろうかと曇天にその答えを仰いだ。

 

 

 

 

伊那まち 「はしば」

 

住所    : 長野県伊那市坂下3312-1(元橋場歯科医院)

営業時間  : 18時~0時頃

定休日   : 日曜日

電話番号  : 0265-95-3758

 

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