東京行くといつも感じる劣等感みたいなやつ ~影山オピニオン~

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ここ数年で通院やら仕事の打ち合わせで東京に行くことが増えた。

正直なところ、僕は都会が好きじゃない。

というか人混みも苦手だし、住んでるのが田舎の里山の古民家なのでなんていうか空気感とか雰囲気が全体的に苦手。

静かなところが好きだし、いつかはもっと人里離れたところで自給自足したりして暮らしたいとか考えてるくらいだし。

もともと肌の体質もあんまり強くないので、物心ついたころから「きっと僕は都会の生活を送ってはいけないだろう」と信じ続けている。

今はネットを使って仕事もできるような時代だし、多分この先も死ぬまで都会で暮らすという選択肢は出てこないだろう。

そんな僕が東京の地に降り立つと、いつも同じことを考える。

「うわ、人めっちゃいるな。こんなたくさんの人の中で、僕は一体何者なんだろうか?どうやったらこの沢山の人の中で埋もれずに自分らしい生き方ができるだろうか?」

「自分なんてまだまだちっぽけな人間だなあ」

そんなようなこと。

例えば当たりまえだけど僕が地下鉄に乗っても僕のことなんて知ってる人いないし(分かんないけど。ブログとかは読んでる人いるかもしれないけど)、電車の中の垂れ広告見つめながら「なんか生きた証残したいなあ」とかぼーっと考えたりする。

なんか結構子供のころから「生きている意味」をずっと考えている。

結構毎日考えてたりする。

思春期みたいな悩みといえばそうかもしれないけど、いつもそういうことを考えて生きていると、一瞬一瞬がとても尊いものに感じられて、一秒も無駄に過ごしたくなくなる。

そりゃそう、時間は有限なんだ。人はいつか死ぬ。

限られた人生の中で、僕は生きた証をなるべくこの世に残したいといつも考えてる。

例えば、僕が生み出した音楽なんかは、僕が死んだとしてもずっと残っていくし、それをこの世にまだ生まれていない子供たちが聴いてくれるかもしれない。

そうだとしたら、僕の肉体は朽ちても僕という存在は死なない。

CDとかも、僕にとっては墓標みたいなもんかもしれないといつか考えて、売れるとか売れないとか置いといてもずっと作り続けたいなと思っている。

有名になってちやほやされたいとかじゃなくて、なんていうか、僕を知ってくれてる人が多ければ多いほど、僕がずっと忘れられずにこの世界のどこかに生きられるかな、って考えると、結構往生際が悪いというか、ただ諦めの悪いおっさんなのかもしれない。

まあ、この歳になって色々挑戦したりして「僕はもっとやれるはずなんだ!」ってジタバタしてる時点で諦めの悪い人間てだけなのかもしれないけど。

ただ、東京に出て雑踏の中に放り込まれた時に感じる、あの何とも言えない劣等感というか自分の小ささに落胆する気持ちは、なんかこのまま死ぬまでずっと持ち続けたいなって純粋に思う。

そういう気持ちを忘れてしまった時点で向上心が失われて、甘えや怠惰に押しつぶされてしまうだろう。

流れる水は腐らないだろうし、そもそも僕はきっと歩く回遊魚なのだ。

泳ぎ続けないと溺れ死んでしまう。

それでも最近は東京に慣れてきたみたいで、前ほど苦手意識がなくなった。

楽しいと思う時間も友達も増えた。

あの気持ちだけは全く変わらないけど。

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夫婦で音楽やっております。