音楽とITでのんびり生きる田舎のおじさんのブログ

Xのコピーバンドをやってた中学時代の仲間たちに送るアンセム

 

最近の僕の音楽しか知らない人からたまに意外だと言われるが、僕は【X】というバンドが好きだ。

海外進出のため、後期は【X JAPAN】を名乗るのだが、僕はそうなる前、まだベースがTAIJIの時代の~1992年くらいまでのXに心酔していた。

 

 

 

あれから二十年余りを経て、最近はもっぱらXを一人でシコシコとコピーしている。

時を経ても、かっこいいものはかっこいい。

特に当時のベースTAIJIに心酔していた僕は、今でも当時の映像を見て胸を焦がしている。

 

コピーをしていると、中学時代のことを良く思い出だす。

あの頃は、勉強よりも女の子よりも、何よりも楽器に触れるのが大好きで、それこそ寝る間も惜しんで練習に明け暮れていた。

そんな当時の練習が、今でも僕の音楽人生に大きな影響を残している。

当時の仲間たちに送るアンセムをここに残しておく。

 

 

みんな坊主だった、だけど…無敵だった

特にTAIJIを崇拝していた中学時代、当時の仲間たちとXのコピーバンドを組んでいた。

ボーカルのY、ギターのK、ギターのJ、そしてベースの僕だ。

結成当時はドラムは不在だったが、のちにヘルプで近所のお兄さんにお願いしていた。

 

僕たちは学校が終わるといつもメンバーの家に駆けつけ、CDプレイヤーから流れるXの曲に合わせて練習をしていた。

恐らく週の半分くらいは練習していた気がする。

合同の練習が無い日には、自宅でひたすらリリースされている全曲を端からコピーした。

多分あの頃が一番個人練習していた気がする、一日8時間とかザラだった。

学校に楽器を持っていくことは出来ないので、ピックだけ密かにポケットに忍ばせて登校し、休み時間や授業中はズボンの縫い目を弦に見立ててピッキングの練習をするというストイックさだった。

 

あとで兄から聞いた話だが、ある日僕が泣きながらベースを練習していたらしい。

なぜ泣いているのか?と尋ねると「弾きたいフレーズが全然上手く弾けないから悔しい」と言っていたそうだ。

僕は全く覚えていないが、兄いわく「そのくらい真剣だったからうまくなるはずだよね」とのことだ。

確かに、正直今じゃそんなになるまで練習していない。

ていうか、そもそもコピー自体も意図的にすることは必然的に減った。

 

オリジナルの音楽を作り出すと練習しなくなるからコピーは定期的にやったほうがいい。と、いつか誰か言っていたがそれは本当だ。

 

知っているバンドマンなら分かるが、Xのコピー難易度は色々と高めだ。

BPMも早いし、ギターもベースもスキルフル、ドラムもツーバスをドコドコ使うし、ボーカルに至ってはキーが高すぎて原キーで歌うことすら難しい。

 

それでも、僕たちは人の何倍も練習して、高校に上がる頃には近隣で自分たち以上に上手い同世代は居ないんじゃないか?というくらいまで昇華した。

 

後からヘルプでドラムを叩いてくれたお兄さんも「中学生とは思えないね」と太鼓判を押してくれた。

むしろ、「お兄さん、その曲はドラムはもうちょっと複雑にフィルを入れてるので、完全にコピーして欲しい。そのニュアンスがすごく大事」と駄目出しを入れるくらい小生意気だった。

 

僕の通っていた中学は全員坊主頭が基本で、初めてお兄さんとスタジオで合せた時は、みんな坊主頭でヘッドバンキングした。

今思うと恐ろしく滑稽な映像である。

 

ある夜、

「俺たちも絶対東京ドームでライブやろうぜ!」

と叫びあった。

 

だが、高校にそれぞれ進学するとともに会う機会は減っていき、あのバンドは自然消滅した。

 

僕たちは世界の広さを何も知らなかった。

それでも、僕たちは無敵だった。

 

 

楽器をめぐるjealousy

 

中学時代、最初に手にしたベースはちょっと怖い先輩から半ば強引に売りつけられた無名のベースだった。

その先輩は、「BOØWY」が好きだったらしく、黒地の本体に布袋のギターっぽく白いビニールテープが貼り巡らされていた。

いや、決してこんなに綺麗にテーピングされてはいない。

ところどころ継ぎはぎが施された不完全なカスタムだったが、先輩怖いしとりあえずベースも早く欲しかったので貯めたお年玉をはたいて謎の布袋モデルを購入。

今考えると、そもそもベースなのに布袋っておかしくね?

 

まあ、その頃は音の良し悪しや弾き心地も全く分からないので、普段の練習には布袋モデルを使っていた。

 

そんな中、HIDEパートを弾いていたKが、突然モッキンバードギターを買ってきた。

HIDEを知っている人なら分かるだろうが、往年HIDEが愛していた形のギターである。

Kは中学生だったこともあり、そのレプリカ(確かフェルナンデス製)の黒いボディのものだった。

 

「おおぉぉぉおお、、、何てかっこいいんだ、、、うらやましい」

 

メンバーは全員羨望の眼だった。

僕も当然、羨ましかった。

 

「俺もこんな謎の布袋モデルをずっと使っているわけにはいかない。こんな意味不明な謎のベースはもう耐えきれない孤独のセレナーデだ。俺が目指すのは、そう、TAIJIのモデルだ!!」

 

僕のDESIREは燃えて踊った。

殺し合う欲望に乱れ始めたOut line、、、

 

TAIJIと同じ形のモデルのベースを持つ自分を想像しただけで、エクスタシーレコードに入れる気がした。

想像しただけで無敵。なんたる魔剤効果。

完全におめでたい坊主頭である。

 

 

とにかくお金だ、お金が必要だ!

 

それから僕はありとあらゆるお金をベース購入のために貯めた。

お年玉やお小遣いを貯め、おじいちゃんの肩を叩いてお駄賃を貯めた。

父と母の作業を手伝ったりしつつ、小銭をコツコツと貯めた。

いらないファミコンソフトを泣く泣く売りまくって出来たお金でNEOGEOを買った。

とにかく、当時欲しかったkillerのクロスという廉価版のベースのために必死だった。

僕はただただTAIJIになりたかった。

もうすぐだTAIJI!!

僕はもうすぐあなたと同じベースを手に入れられる!!

待っててくれ!!

 

 

あと少しで目標額が貯まるころ、PATAパートを担当していたJがギターを買ったとの知らせが届いた。

「Jもきっと、Kに触発されて頑張ったんだろうな、、、俺たちは本当にいいメンバーに巡り合ったもんだよ。きっとギブソンは買えないだろうから、もしかしたらエピフォンのレスポールモデルかもな、、、いや、もしかしたらカスタムという選択肢もあるな、、、」

 

PATAは昔からギブソンのレスポールを愛用していた。歴史のあるギターである。

PATAはブラックのカスタムを使うこともあった。

中学時代、実際にレスポールの形をしたギターを目の当たりにしたことの無かった僕は、Jの買ったギターを見るのが本当に楽しみで仕方が無かった。

 

 

いつものように練習の曜日、学校が終わるとすぐにもうじき別れを告げる布袋モデルを抱えて自転車に飛び乗った。

「布袋モデル。よく聞け。もうじきお前ともお別れだ。俺はもうすぐTAIJIになるんだ。だけど、お前と過ごした日々は忘れない。謎の布袋カスタムを施されたお前をここまで愛した人間は俺だけだ。本当にありがとう。」

傷つけ合った言葉も
重ねた涙も
いつかは想い出になるよ
だから……….途切れたメロディ
胸に抱きしめて 明日も生きるだろう
貴方に会えなくても

 

来月にはさよならを告げる布袋モデルに、自転車の上で感謝した。

 

Jの家に着くなり、駆け上がるように部屋に転がり込んだ。

 

僕「どれどれ!新しいギター見せてーーー!!」

J「うん、これなんだけど、、、」

 

 

僕「な、、なん、、だと、、、。」

僕は信じられない光景を目の当たりにした、、、。

「えーーーーーーーーーーーーっっっっ!!!???」

 

おいおい、ちょっと待ってくれ!!!

それはkillerのパイレーツだろ!!!???

高崎晃のやつだろ!!!!

え?えーーーーーー!!!???

 

それは絶対駄目なやつだろーーーーーーーー!!!!!!!!

 

ガッテーーーーーーーム!!!!!

 

 

僕は絶句した。

人生で初めて絶望を感じた。

頼む、嘘だと言ってくれ。

涙で明日が見えない。

破滅に向かって、、、。

 

それは完全にMISCASTだ、Jよ。

 

J。お前の気持ちを全く知らなかった俺も悪い。

ただ、もう一度PATAを見てくれ。

ほら!!!!

ほらっっっ!!!

ほらっっっっっっっ!!!!!!

ほらーーーーーーっっっっっっっっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

(注:最後は野村義男さんです)

 

その日僕はどうやって家に帰ったかを覚えていない。

練習はした、、と思う、、、。

 

帰り道、やけに布袋モデルが重かった気がする。

「人生、そんなもんだよ」

布袋モデルがそっと声をかけてくれた気がする。

「お前、いいやつだな」

 

 

翌月、僕は乱心した末にミュージックマンのスティングレイモデルの無名メーカーのベースを購入。

残ったベース貯金は全て近所のゲーセンでメダルに変えた後、砂と化した。

 

 

Xのコピバン始めます

先日、地元でライブがあったんだけど、楽屋でずっと「Voiceless Screaming」を弾いていた。

普段、ギターの指慣らしにこの曲を弾くんだけど、その時対バンしたV系の先輩バンド「TO DESTINATION」のボーカルのDAIさんが反応し、ちょっと歌ってくださった。

 

 

 

実は僕は楽屋でいつもこの曲を弾くのには訳があり、それは対バンのバンドマンの中にX好きな人がいないかリサーチするためでもあるのだ。

Voiceless Screamingは知る人ぞ知る名曲で、反応する人は恐らく相当なX好きなのだと確信している。

 

そんな折、当日の打ち上げで、僕が一人でXのコピーをしていることをメンバーさんに告げると、

「じゃあ、コピバンでもやる?」

的な流れが生まれ、ここにきてまたXのコピバンを始めることになった。

 

中学時代、ライブを一回もせずに空中分解してしまったあの無念を、ここでまた爆発させることが出来る。

なんということだ。これだから人生は面白い。

 

ちなみに僕は今はもうギターばっかり弾いているが、

「XをやるならTAIJIをやります!」

と強い要望を出したので、僕はベースになる。

 

年明けにはメンバーとなるTO DESTINAITONのkenjiさん(奇遇にも同じ名前だった)と他メンバー募集から始めることになる。

kenjiさんも「やるならガチ」と言っているので、それはこちら望むところ、生半可な気持ちじゃ爆発寸前GIGなど出来やしない。

 

とりあえずその日から僕はダイエットを始めた。

あの頃のTAIJIは線が細くて、今の僕のままTAIJIメイクを施したら、せいぜいアジャコングかブル中野がいいところだ。

完全に事故だ。それだけはダメだ。天国のTAIJIに申し訳が立たない。

 

しかし楽しみでしかない。

またXのコピバンが出来るなんて夢にも思っていなかった。

そしてkillerのベースを買う準備を始めた。

今回もしも同じメンバーの中にkillerのギターを使うものが現れたとしても、僕は絶対にkillerのベースを買う。

あの頃の夢を、今叶えようと思う。

 

 

 

追伸

中学時代、一緒に無敵だったY、K、J。

今も元気ですか?

僕は相変わらず音楽をやっています。

 

 

Yがキーが合わずに声を裏返らせながら収録したカセットテープはどこへ行ったのだろう?

 

僕がたまにKのギターを借りてLove Replicaを弾いていると、君はよく「健二君はベースなんだからギター弾かなくていいんだよ」なんて言ってくれたね。いや、別にいいじゃないかwww

 

J、君には語りつくせぬ酸っぱい想い出がある。 何であの時君はあのギターを選んだのか、まだその胸の内を聞いていない。

 

あの頃の思い出や記憶が、今僕を包んでくれています。

楽しさや悔しさも、今となっては全部が僕の肥やしです。

 

いつかまた機会があれば、あのメンバーで会いたい。

今はそれぞれ別の道だけど、あの頃があったからこそ、今僕は音楽をやっていられるんだ。

 

そうだ、Xのコピバン、聴きにきてくれよ。

あの頃、みんな無知だった、だけど…無敵だった。

 

 

 

 

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