「子育ては、こうあるべきだ!」というステレオタイプは捨てていい

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息子が生まれて2年半ほど経過した。

影山(@heartleafkk)です。 有名なブロガーでもあるかさこさんの今日のブログが痛烈で、思わず思う...

以前こんなエントリをしたわけだが、まあ僕の根幹は変わってはいないものの、子育ては僕だけのものでもないわけで、日々嫁と試行錯誤の繰り返しで今日に至っている。

大変じゃない、といえばウソなのかもしれないが、うちはうちで円滑な子育てが出来る環境を作りつつバランスを保っている。

分からないことがあれば父母や友達のパパママの先輩に意見を仰いだり、ネットを使って色々調べているうちに、僕は一つの答えに辿り着いた。

それが、

『子育ては、こうあるべきだ!!』

みたいなステレオタイプをなるべく排除した方が、余計な部分まで悩んだり考えなくていいということ。

産後の家庭内の変化に順応する重要性

僕自体、父親になった瞬間はまるで実感が湧かなかったものの、一番心境や環境の変化をしたのは嫁であることに間違いない。

出産も育児も、自分たちで行うのは初めてだったし、今まで生きてきた中で触れたことのない情報や環境にのみに囲まれた牙城を、なんとか切り崩していくような暗中模索の毎日に、だいぶ気持ちを持っていかれてしまうのは嫁だけじゃないだろう。

日に日に疲弊し、時には涙を浮かべる嫁の横顔を目にして、なんとか支えてやりたいとは思うものの具体的なそれはなかなか見つからずにいた。

生まれてくる前にはそれなりに産後の事を二人で学んだつもりだったが、いざ出産を終えると「習うより慣れろ」の事が多すぎて、今考えるとどれくらい意味があったのかさえ定かではない。

病院で貰う資料も、人から言われる子育て論も、ネットで見つける情報も、当たり障りのないものしかほぼ載っていないし、産後の嫁を支えるために出来ることを探したところで、多分それぞれの家庭環境が違う中で全く同じことが出来るなんてことは無いだろう。

ていうか、そもそも嫁に何かをしてあげたとして、それで救われるかどうかは人によるのだ。

対処療法ではないけど、子育てはマニュアル通りなんてほぼいかないし、「何か」が起きて、それに対して善処する。ということのほうが圧倒的に多い。

勿論、先に学んだことが生きることもあるが、大事なのは準備よりも日々変化していく家庭環境だったり、心の動きだったり、子供の成長だったり、そういったものに受動的に順応していくことのほうがよっぽど大事だ。

家庭ごとに環境やルールが違う

冷静に考えると、この世に一つとして同じ家族なんていない。

住む場所も仕事も家も性格も全部違う。

だから、違う家庭ですごく効果的な子育て法があったとしても、もしかしたらうちでやったらとんでもない結果になるのかもしれない。

ひとつの情報として指標にしたり参考にしたりはあるけれど、必ずしもそれが世界の子育てに通用するなんてことは無いのだ。

「子育ては○○であるべき」

という論法はそこら中に落ちてたり、周りから言われたりするんだけど、正直参考にもなるし参考にもならない。

僕は別に周りと比べるために子育てしてるわけじゃない。

見栄で生きてるわけでもなければ、一つの価値観に縛られたような窮屈な生き方もしたくない。

別に子育てに限った話でもないのだけど、

「昔はこうだった」

とか、

「あの家は○○だった」

とか、

「母親はこうあるべき」

とか、

「理想の父親はこうだ!」

とか、

そんなもんは当てにならない。

みんなそれぞれ違うから。

僕たちが子供のころとはもうだいぶ環境は変わった。

昔通用していた価値観なんて今は通じない。

スマホもネットも無かった時代の価値観が、子供でも簡単にyoutubeを観られるような時代の価値観に全て合致するわけない。

今を生きていても、みんなそれぞれ考え方も生き方も違う。

この前、実母の前で息子のおむつを替えていたんだけど、

「今の時代はお父さんもちゃんとおむつ変えて偉いねー」

と言ってた。

いや、そんなの当たり前だし、別にオムツ変えた位で褒められることもない。

それなら昔の母親なんてみんな褒め讃えるべき。

当たり前なんかじゃないんだよ。

時代も違う、家庭環境も違う、考え方も性格も仕事も、全部違う。

自分達で切り開くしかないし、自分たちの子育てのルールと答えを持つべきなのだと、今は痛感している。

良い子育ては良い環境作りから

産後の変化のことと重複するが、産後しばらくは嫁もだいぶ疲弊したようだった。

いわゆる「産後うつ」のような重篤なものではなかったけど、調べると産後に自ら命を絶ってしまったり、精神を病んでしまう母親も少ないにようで、産後は僕も色々慎重になった。

毎日が未知の経験であり、産後の母親の心境や体の変化は察するに余りある。

想像を絶する。

そんな中、前項の「子育ては○○であるべき」みたいな情報が望まずとも飛び込んでくるわけで、産後少しづつ気持ちを整理したいであろうお母さんたちはさらに追い詰められていく。

まあ僕は父親なので、母親の気持ちのすべてを理解することは不可能なのだが、多分僕が母親でも発狂していたかもしれない。それくらい、子育てに対する「○○であるべき!」という固定概念が世には蔓延している気がする。

だから、そんなものは捨ててしまった方がいいと思い始めた。

良い子育てを考えたとき、なにも子供に対する直接的なアクションだけが育児でもなくて、それを行うとなった時にどれだけ親がノビノビと子供と接することが出来るか?のほうが重要な気がする。

こっちの気持ちに余裕が無かったり、イライラしていたり、夫婦喧嘩していたり、そんなときに良い教育が出来るとは到底思えないし、だったら日々その環境作りをするところから始めた方がよいのでは、と思う。

完全に、、とはいかないまでも、なるべくいつも幸せを感じながら生きるとか、笑って過ごす時間を増やすとか、夫婦で仲良くいるとか、そういうところから育児は始まっていると思っている。

既成概念にとらわれすぎて心の余裕がなくなるくらいなら、適当にやればいいと思う。

もっと自由でいいし、家庭ごとに違くて当然なのだ。

もともと比べる必要なんてない。

たまに論争が巻き起こるけど、低年齢で保育園とか幼稚園とか入れるの可哀そうみたいなのも、それは家庭ごとで決めれば問題ないじゃないかね。

それよりも親がどれだけノビノビと生きていられるかのほうがよっぽど重要だ。

こうやって持論を持つことも、きっとどの家庭にも通じるわけではないと思うけど、考えすぎて困窮するくらいなら、もっと色々楽に考えればいい。

常に完璧なんて目指さなくていい。

「ベスト」より「ベター」でいけることは沢山ある。