僕の家の近所には自由猫が結構多くて、4年前位にこの家に引っ越して来てからも、家の周りには入れ替わり立ち替わり様々な猫が来訪する。
そんな中、一昨年くらいからずっと裏庭にサビ柄の雌猫『タビちゃん(あくまで影山家の中での通り名)』が居座っている。
タビちゃんが来て間もなく、タビちゃんはお腹を大きくして妊娠していることが分かった。
とはいえ自由猫なので、僕達はただその暮らしぶりを窓越しに眺めていただけだった。
ある日、家の裏のタイヤ置き場あたりから小さな仔猫の鳴き声が聞こえてきて、どうやら無事に生まれたのだと安堵した。
警戒心はやはり強いようだったので外で近づけなかったけれど、窓越しに眺めていると仲睦まじい親子の猫が影山家の周りで営みを始めた。
茶トラの長毛だった。
自由猫でここまで長毛も珍しい。
僕たちはその子を『タビオ』と名付けた。
時折窓の外を覗くと、タビちゃんがタビオに狩りを教えていたり、授乳したりと、なかなか貴重なシーンを見せてくれた。
タビオは最初、人間に全然心を開かなかったが、成長とともに僕たちに近づいてきて、最近では完全に家族だと信じているようで、窓を少し開けておくと部屋に入ってきたり、「モフってくれ!」と言わんばかりに体を押し付けてきた。
タビちゃんもタビオも自由猫だったし、もともと影山家の先住猫の『キーさん』『とらじ』もいるので、なんというか、距離感はあったものの、タビちゃんもタビオも、もう家族の一員のような存在になった。
僕たちはもうこのままタビちゃんとタビオを家の中で飼おうかと何度か話し合ったが、先住猫の二人も体を弱くしていて、とりあえずは現状維持でいることにした。
タビオが成長するつれて、タビオとタビちゃんとの距離感が親子から「成猫対成猫」になった。
猫界だと割とそれが自然だそうで、仔猫の独り立ちも早い。
タビちゃんは名前の通り、旅に出ることが多くて、出かけると暫く帰らないことが多かったが、家の裏で生まれたタビオは生活テリトリーが影山家の周りであり、他に行くような素振りは無かった。
僕が外出から帰ると、タビオは必ずこっちに近づいてきて「お帰りなさい」と鳴いた。
窓を覗いて遠くのタビオを見ていると、不意にこちらに気付き、駆け寄ってきた。
体を撫でてあげると、のどをゴロゴロ鳴らして喜んでいた。
タビオは完全に「影山タビオ」であった。
そんなタビオは、3月28日の朝、家の目の前の道で車に撥ねられて亡くなった。
朝早かったのもあり、最初は何が起こったのか分からなくて、道に横たわるタビオをただただ見つめるしかできなかった。
嫁は取り乱したように泣いていた。
あとから聞いたら、ついさっきまで嫁がタビオを撫でていて、その数分後運悪く車道に出たところを撥ねられてしまったみたいだった。
正直今も気持ちの整理は全然出来ていないけど、影山家の裏庭に花壇を作り、その傍らに埋葬した。
端から見たら、たかだか野良猫の死なのかもしれないが、影山家にとってはもう既に家族みたいな存在だった。
「ちゃんと家で飼ってあげていたらよかった」
と、嫁が泣いた。
僕は何も言えなかった。
あのとき、飼っていれば。
あのとき、もう少し長く触っていれば。
あのとき、もっと長く寝ていたら。
あのとき、車が通らなければ。
あのとき、車道に出なかったら。
当然だけど、この世にタラレバなんて無くて、偶然だか必然だかは分からないけど、色んなタイミングでタビオはこの世を去ってしまった。
僕は最後にタビオに触れた日がいつだったか覚えていない。
かけた言葉も覚えていない。
当たり前の日常は、もう当たり前では無くなってしまった。
タビオにとってこの短い人生を、この狭い世界でどのくらい堪能できたのか分からない。
ただ、タビオに名前をプレゼントしたであろう人間は我々しかいないと思うし、その存在をちゃんと家族として認識したのは少なくともタビちゃんと我々だけだったことは確かだ。
それでもなんとなく思うのは、最後に嫁に撫でられて、影山家に愛されて、タビオは幸せだったんじゃないかな、ということ。
そしてタビオの存在を僕たちが忘れなければ、タビオはこの世に生まれてきてよかったと、思ってもらえるんじゃないかな、と。
僕にとって愛とは、人間だろうと猫だろうと関係ない。
家族がいなくなるということは、それまでの日常ではなくなるということだ。
人も動物も植物もいつか死ぬ。
僕も明日事故で死ぬかもしれないし、愛する家族が明日事故で死ぬかもしれない。
縁起でもないことだけど、でもそればっかりは分からない。
そしたらどうするかと考えるけど、日々全力で生きて、全力で愛するべきを愛して、いつ死んでも笑って死ねるように、いつ死んでも後悔が残らないようにするしかない。
少しづつでいい。
ちょっとでもいい。
愛する人に愛を伝えること。
悔いの無いように生きること。
何気ない日常の奇跡に感謝すること。
愛すべき家族が目の前にいてくれることは、当たり前じゃない。
明日があるのは、当たり前でない。
ずっと念頭に生きてきたけど、タビオが改めて教えてくれた。
ありがとうね、タビオ。
生まれてきてくれてありがとう、タビオ。
いつも君を想っているよ。
君は影山家の大事な家族、影山タビオです。
どうか安らかに。