先日、ひっそりと且つしめやかに、小生の誕生日を迎え齢36と相成。
細君に誕生日プレゼントは何がいいかと尋ねられたが、言葉に詰まった。
何も思い浮かばないのだ。
巷ではよく、
「君がいてくれたら他に何もいらない」
的なセリフが形を変えたりしながら使い回されているが、まさにそれしかセリフが無い。
いや、ファミコンのカセット欲しいとか新しい機材欲しいとかたまに言ってるので、欲しいものが無いと言うと嘘なのかもしれないが、でもそれらは全然なくても良かったりするわけで、今こうして愛する家族と暮らせて音楽を作っていられる環境があればそれ以上の幸せは今のところ思い浮かばない。
ライブのMCなんかでもよく口に出ちゃうんだけど、人生明日どうなるかなんて分からないし、もしかしたら明日には小生が事故で死ぬかもしれないし、それならば今日できる限り一生懸命生きたいし、やりたいことをやりたいし、愛する人には愛してると伝えたい。
死を意識して生きるなんて可笑しな話なのかもしれないが、とかく人間は良くも悪くも忘れる生き物である。
明日があるのは当たり前。
明日も会えるのは当たり前。
飯を食えるのも当たり前。
生きてるのは当たり前。
それは違う。
生命に対して朦昧してしまう。
こんな変人の亭主を持った細君の苦労は甚だ心苦しくもあるが、彼女はいつだって傍らで笑ってくれる。
そんな細君と一緒に生き、一緒に奏で、死が二人を別つその日まで、彼女に愛していると言い続けたい。
実は私達は毎月の記念日に手紙を出し合っている。
手紙はいい。書くときは相手の事だけを考え、言葉を整理できる。想いが乗る。
お互い死んだ時には棺桶にそれまで受け取った手紙を入れて焚き上げてもらうと決めている。
愛を維持するのは大変なのかもしれない。
少なからず努力は必要だと思っている。
ただ、それは苦労とかとは少し違っていて、そうせずにはいられないからそうしてる、という感じだろうか。
愛する人に
愛してると伝えること
これほど分かりやすく尊い愛情表現は他に無い気がする。
いつもありがとう。愛してる。