先日、とある映像制作会社のプロジェクトに音楽家として専属契約を締結させていただいた。
思えば2015年の年末に「音楽を主軸に好きなことで食っていくこと」をテーゼに旗を掲げ、今日まで地道な努力を重ねてきた。
楽曲制作もブログも他のことも全部、最初なんて全然結果に結びつかないし、分からないことだらけだし、親しい間柄の知人もそういう相談を出来る人などいなかったので、いつも一人であーだこーだ言いながら続けた。
始める前予想は出来たし、今も毎日思うんだけど、世の中には僕なんかよりすごい人は沢山いる。自分なんてまだまだ未熟だと毎日痛感する、大げさな話じゃなくて割と本音。
でもそんな中でも自分にしか出来ないことを生み出せば、他の誰にも代替の利かない「影山健二だから頼みたい」というニーズがきっと生まれるはずだと信じている。
もちろん今がゴールというわけではないけど、「影山健二」という作曲家としても世界にニーズが生まれたということは、この活動を始めてからひとつの指標だったことは確かである。
今回のお話も、CEOをはじめとする関係者の方々と直接会ってお話をして、その結果僕を直々にご指名くださった。本当にありがたいことです。
音楽のことだけに限らず、ブログのことや人間性までひっくるめて僕を求めてくださったことは、この活動を始めて一番嬉しい瞬間でもあった。
ずっとそう言われる日を目標に頑張ってきたのだから。
スタートを切り続ける
今こういうところまで進んできて、確かにひとつ指標というか、フェーズをひとつ進めた気もするが、ここで満足なんて全然していられないし、やっぱり今が通過点くらいで、やっとスタートラインに立てたような気持ちのほうが圧倒的に強い。
バンド活動や他の活動もそうだけど、目標に向かって頑張るんだけど、その目標に届いて満足してるならきっとそれ以上の成長は難しい。
ひとつの指標は指標でしかなくて、終着駅ではない。
純粋にもっともっと成長したい、音楽家としても、一人の人間としても。
でも振り返ると、いつからかそうやっていつも「スタートを切る」感覚でここ何年か生きてる気がする。
heartleafの音源が完成したときも、嫁がメンバーに加わったときも、すごい人と共演したり出会ったりしたときも、いつも「やっとスタートラインかな」と、その場に腰を据える事はしなかった。
だからこそ僕はまだずっと走り続けられてるのだろうし、時には目標を見失いそうにもなることもあるけど、周りの人達に支えながらゴールを目指している。
終わりは始まりと同意義だと思っていて、何かが終われば何かが始まるし、何かが始まるときは同じように何かが終わってる。
そういうもんだと思って生きてると、次から次へと体を動かしたくなってくる。
僕の原動力の源はそういう感覚なのかもしれないなと、これを書きながら考えている。
スタートを切りまくる
人によってキャパシティは違うけど、僕は同時にいくつものスタートを切り続けることをいつも意識している。
全部が全部うまくいくとは限らないし、パワーバランスも都度違ったりもするんだけど、なるべくひとつのことに注力しないように、複線でいくつもの事を同時進行させるようにしている。
これは何かひとつがこけたときに全て持っていかれてしまうことを回避するためのリスクマネジメントの効果もあったりする。
僕の目指すパラレルキャリアに通じてるメソッドなのかもしれない。
いくつかの導線を引くことで、もしかしたらそれらがどこかで交錯して全く想像もつかない何かが生まれる可能性もある。
そして何よりも、色んなものが勝手に篩にかけられ、そして本当に自分に必要なものだけが残る。
やってみないと分からないし、とりあえずいけそうなスタートは片っ端から切るようにしている。
答えは結果が教えてくれる。
もちろんどれも携わるうちは全力で取り組むのが大事なんだけど。
人によってはそういう生き方はしんどいのかも知れない。
僕も疲れがないなんてことは決して無い。
それでも、棺桶に入るまでは、いつもスタートを切り続けたい。
死んで初めて、ゴールテープを切れればいい。
それは僕にとって、生きることの本質でもある。